こんばんは。Usanです。今日はあいさつの指導について書きます。
あいさつの大切さは誰しもご存じかと思いますが、大人でもできない(しない)人がいっぱいいますね。
私は指導する子ども達が、そのような大人にならないよう、実践的なあいさつ習慣を身に付けさせたいです。
新年度、学級開きの時にあいさつに関する約束を決め、様々な「場面」であいさつができるように指導していきます。
その「場面」ですが、大きく2つの場面に分けて考えます。
儀礼的なあいさつの場面
自発的なあいさつの場面
それではそれぞれ具体的に書きます。
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儀礼的なあいさつの場面
「儀礼的なあいさつ」とは、言葉は良くないですが、子ども達に強いるあいさつのことです。
朝や帰りの会でのあいさつ、授業のはじめと終わりのあいさつ、給食のはじめと終わりのあいさつがこれにあたります。
Twitterを見ていると、
あれいらんやろ。
授業のはじめと終わりの礼。
と思いだして実験してみたことがあるのです。
両方ともカットしてみました。
結果は・・・
何も変わりませんでした。
というわけで私は礼をしません。
なんかこう「お願いします!」みたいな感じ凄い嫌なんですよね。
言わせている感が好かない。
— ロマネスコ@Eduvater (@Rromanescoooooo) March 23, 2020
という意見があり、このツイートには賛同する意見も多数あります。
一斉にそろえてあいさつすることに意味がない
軍隊や戦争を想起させる
心の部分を強制させたくない
なるほどなという意見がたくさんあり、今まで当たり前と思っていたことについて視点を変えて考えさせられました。
その上で私が出した結論は
やっぱり必要だよね
ということでした。
理由は目的から考えます。儀礼的なあいさつの目的は、
けじめ、切り替えのスイッチのため
が9割だと思います。感謝の気持ちを~とか、礼に始まり礼に終わる~という目的ももちろんあると思いますが、緊張と弛緩を切り替えるスイッチとして儀礼的なあいさつはあると思います。

という方はいいのですが、やり方を学年や学校全体で揃えておかないと、切り替えをさせられない学級が出てきた時の対応に苦労すると思うのです。
切り替えをさせる方法を揃えておけば、担任じゃない方が授業に入った時に指導がしやすいはずです。
まあ、今日は儀礼的なあいさつの是非のことではなく、指導のポイントのことを書きますので、これくらいで。
それではポイントです。
その学校のやり方に従う
学校全体でこのようにやりましょうと決まっている場合はそれに従ってやります。
「いやうちは独自で」とやり出すのは、組織の一員としてよくないですし、子どもは混乱し、見透かして、荒れにつながることがあります。
「いやいや、こうやった方がいい」と思う場合は次年度から学校全体でそのようにできるよう動きます。
学校評価に書くだけでなく、それなりに根回しも必要です。
また、説得力をもたせるためにはそれなりに自分の学級をつくりあげなければいけません。
若い人の考え方や革新的な考え方は是非取り入れていきたいし、私も旧態依然とした古い慣習は打破したいと考える派なのですが、教師1人では学校は動きません。
子どものためと考えるのであれば、妥協するところは妥協して、組織の一員として動くことが大切です。孤立してはいけません。
やるならこだわる
それぞれの学級でやり方が任せられている場合は、先述した通り、儀礼的なあいさつをしないやり方でも切り替えさせられる場合はいいでしょう。
儀礼的なあいさつを使って切り替えさせたい場合は、きちんとルールを決めてそれを守らせます。
例えば、起立の号令がかかったら、起立してイスは入れるのかそれとも入れないで横に立つのか、横に立つなら机のどちら側に立つのか。
あいさつの仕方も、語先後礼(あいさつを言ってから礼をする)なのか、あいさつと礼が同時でもよいのか。
細かくなくてもよいのですがとにかくルールを決めます。
そうしたらそのルールにこだわります。
決めたのならやらせきるのが本当に大事です。
できていなければ何度でもやり直しをします。
研究授業などを見に行くと、最初の礼がしっかりしている学級は、授業中の学習態度も立派です。これは間違いないです。
それは決めたルールのもと、全員で儀礼的にあいさつをすることで、学級全体が授業にしっかり切り替えられていることを表しています。
教師側が「これくらいいいか」で妥協してしまうと、やっぱり子どもも「これくらいでいいだろ」となります。
「これくらいいいだろ」が積み重なると、「これくらい」の幅が大きくなっていき、元に戻せない状況まで大きくなったらもうやばいです。
もう一度言いますが、細かくなくてよいので、ルールを決めてやらせきる。
大変な時もありますが、意識しています。
号令係を固定する
日替わりの日直が号令をすることが多いと思いますし、私も今年度は学年の意向に従ってそうしました。
ただ、個人的には固定した方が良いと思います。
理由は、この儀礼的なあいさつは切り替えのためのルーティーンだからです。
固定された子がいつものように大きな声で言ってくれることで、全体が切り替えやすいです。
全員で回すことのメリットもありますね。
ここは好みでもよいかと思います。
儀礼的なあいさつは社会に出ても企業によってはあるはずです。
また、普段からここをしっかりやっておくと、運動会の整列や卒業式の儀礼などでの指導が楽になります。
きちんとやる時はきちんとやる。という習慣をつけさせるためにも私は今後も続けていきたいです。
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自発的なあいさつ
「自発的なあいさつ」とは言葉の通り、子ども達が自らしようとするあいさつのことです。
廊下ですれ違った時のあいさつ、教師や外部の方が教室に入ってきた時のあいさつ、校外で地域の方々へのあいさつがこれにあたります。
こちらの方が圧倒的に子ども達が大人になるために身に付けさせたいあいさつですね。
よく部活動で、体育館に入る時に体育館にあいさつしたり、コートに入る前にあいさつするなんてありますよね。
あれもある意味儀礼的なあいさつですが、あれは目的がよくわからないので個人的にはやらないほうがいいなと思っています。
感謝の気持ちを表すなら体育館やコートの前に、指導者や一緒に練習する仲間、相手、審判、保護者に表すべきです。
社会に出て、同じような場面はないかと思います。
こちらがポイントになります。
あいさつは先にした方が勝ち
ゲーム形式で、あいさつは自分からするものだという意識や習慣をつけるためによくやっています。

と言うと、子どもは勝負ごとが大好きなので、中学生でも喜んでやります。

相手に伝わらなければあいさつではない


逆に言えば、大きな声でなくとも、相手に伝わればそれはあいさつです。
無理やり大きな声でやり直させるのは場合によりますが、せっかく芽生えた自発的なあいさつの意識をつぶしてしまうこともありますのでやめておきます。
しかし、伝わらないあいさつは意味がないので、そのために最低限でも相手に伝わる声量になるようには話します。
目が合わない人にもあいさつする
明らかに先生が見えているのに、先生がこちらを見ていないからあいさつしない。そしてその後先生がこちらを見たらあいさつする。
これって逆に気分悪いんだよね。逆に歩いている時、
後ろの方から「おはようございます!」と聞こえてきて、振り向いて「おーおはよう!」
これってお互い気分がいいよね。
という話をよくします。

という最初の指導にもつながります。
自発的なあいさつを促すために、3点のポイントを話しましたが、共通することはできないことを叱るのではなく、できたことを評価してあげることですね。
年度初めにいつもこの3つのポイントを意識してあいさつ指導をしますが、そんな簡単には身に付きません。
継続して粘り強く言い続けていくことが大事です。
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まとめ
あいさつは学級経営の根幹をなすものといっても良いかと思います。
けじめをつけるための「儀礼的なあいさつ」
生きる力として身に付けさせたい「自発的なあいさつ」
どちらかを強く押し出してしまうと、子どもを押さえつけてしまったり、逆に好き放題にさせてしまったりします。
バランスとさじ加減で、子どもの実態を考えて指導することが大切ですね。
これが絶対というものはありません。常に柔軟に考えて、実践的なあいさつの習慣を身に付けさせていきたいです。
それでは今日はここまでです。よければまた読んでください。